120707 初版

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高校でなぜ数学を学ぶのかについて,私の答えを述べてみる。
私たちが高校生だったころ1980年代後半や,教員になりたてのころ1990年代には そういう疑問が世の中に蔓延していた。 どこからかソースを持ってきたいとおもっているが, 偉い人が「俺は数学ができなかったけど,立派になっている」のような発言をしたらしい。 大なり小なりそんな発言があって,反面苛々していた人もいたみたい。 数学は,難しいけど役に立たないものの代名詞として厄介者のように扱われていた。 変な発言に扇動されずに,あるいは本質を知っていた人はその間もコツコツと 活動していたのだった。
一番の犠牲者は,1995年くらいから2005年くらいに高校にいた世代である。 人気のない数学のおかげで,大学入試から数学のウエイトが下がった時代である。 国立大学でも下手をすると数学Iだけをセンター試験に指定していたところがあった。 社会全体で,数学を軽視していた。 その結果は国力,国際競争力の低下である。 これは,あと30年(ひと世代)は続くと思っている。 教育のおそろしいところである。 教育や文化をおろそかにしている国は, 必ず滅びて行くことを私たちは歴史から学ばなくてはならない。
高校で数学を学ぶ理由は次の3つになると考えている。
科学者の端くれである(数学者,教育者の端くれでもあるが)私は, まずは観察から入る。 それが私のすべての活動の原点である。 今までの経験からの集約である。
高等教育の準備であるが, これはいわゆる数学を積極的に使う進路をとった人のうち, 数学を応用しようとする人向け。 やはり,\(\sin,\ \cos,\ \tan,\ \log\)や微分,積分の計算ができないと, ものの設計ができません。 初等関数くらい性質を知っていてくれれば, すぐにでも工学で応用が利きますよ,という立場。 大学での数学だけでなく, 科学技術立国をめざして, 高卒で技術者,あるいは高専などに進んで ものづくり日本をしっかりと支える人材を養成するには, 絶対に必要でした。 その人たちは,発言する機会が少なかったからでしょうか, 前述のように結果的にその人たちを軽視してしまいました。 それに比べて,明治の人は本当に偉かった。
生涯教育の準備であるが, 高等教育の準備でも少し述べたように, 教育機関から離れても数学を使う機会のある人がいる。 大学進学や就職のときに意識していなくても, 職業を続けて行く上で,もちろんその都度勉強は欠かせないが, やはり算数を超えた計算が必要になる場面がでてくる。
生涯教育の観点では重要なことがもう一つあって, 考えるとか,勉強するとかいうこと自体を, 数学を通して学ぶのである。
数学の存在価値は,純粋な思考力を鍛えることにあると考えている。 仮定から結論まで矛盾なくつないで行くという過程は, 考えるという活動のもっとも基本的なことである。 副産物として忍耐力や,計算遂行の正確さ, また,独学で物事を成し遂げるということも学ぶ。
「できるからわかるへ」という新井紀子先生の講演を聞いたが, そうか,塾や家庭教師では,ひとりで考えるということができなくなるのかと感じた。 関連して, 与えられた空欄のあるノートに調べて埋めていくだけの学習方法は, その空欄を作るということを誰かがしている時点で, 学習活動としては欠けていると感じている。 また,学びあいの学習方法は, 同世代の自分たちで発見したり,知識を共有したり, 表現力を養ったり,人から学ぶ大切さを培ったりすることはできるが, 自分ひとりで考えるということは, 発表準備など課外で場面を作ってあげないと培うことはできないのではないかと考える。 もちろん,これらの学習方法をすべて否定するわけではない。 発達段階あるいは個に応じては,大変有効である。
最後に知的活動の継承であるが,これは2つある。
一つは数学者や数学を教育する人を養成する側面である。 もちろん,主たるものは高等教育機関の役目であるが, 応用するものだけではなく,ある意味正統的に数学を学び, 研究する人がいる。 それを志そうとする人は,早くは小学生ぐらいからも現れるが, 高校でもそのような人材を発掘しなくてはならない。
もう一つは数学が必要なのだということを知っている市民を 育てることである。 この人たちがマジョリティであって, 社会の風土を作り,親になって次世代を育成する。 その際に,数学の知識や,計算技術だけでなく, 思考力を鍛えたり, 学習活動の一つの構造なのだという点で, 数学が大切だということを本当に理解して, 普通に市井で生活して行く人を育てたいのである。 この人たちがいなくては,文化,社会が廃れて行くのである。
こんなことを1年生の高校数学のはじめに話をすることがあるが, 「彼はこんなことを意識しながら数学の授業をしているのだなあ」と, ときたまこのページを開いてみてくれるといいなと感じて記した。 読み手も数学の経験,人生の経験を積むにしたがって, 理解度が高まると思う。 また,数学は(だけでなくあらゆるものはそうだが)単なる積み重ねではないので, 少し上がっては振り返って下を見て,そしてまた上がるというスパイラルのように, 高校なら3年間(いまのところ)で結ぶので, まあ,1年生にはわからんかもしれないしな。