141115 初版 141115 更新

数学的帰納法の歴史は結構古いらしい。
パスカルやフェルマーはすでに使っていたといわれる。
古い論文では,(数式の記法なども確立していないころ)
「例えば,n が 10 のときは, n が 9 のときに成り立つとして,
次のようにいえる。」
のように,書かれていたらしい。
n が 10 でなければ成り立たないような 特殊な事柄を使っておらず, n が 9 のときに成り立つという仮定と 常識的な推論のみで説明できればよいとされている。

n が 1 のときは正しいことがいえた。([1])
n が 1 のときに正しいと仮定すれば(事実正しいかった),
n が 2 のときも正しいことがいえる。([2] で k = 1)
n が 2 のときに正しいと仮定すれば(事実正しいかった),
n が 3 のときも正しいことがいえる。([2] で k = 2)
n が 3 のときに正しいと仮定すれば(事実正しいかった),
n が 4 のときも正しいことがいえる。([2] で k = 3)
n が 4 のときに正しいと仮定すれば(事実正しいかった),
n が 5 のときも正しいことがいえる。([2] で k = 4)
つづく
のように,次々に無限にある自然数に対して, それぞれ正しいことをいうことができるのである。
まるで,帰納法のようだということで,数学的帰納法と名付けられたらしい。

西洋の数学書の数学的帰納法による証明を読んでいると, ちょっとニュアンスが異なるのである。
「n のとき正しいことをいいたい。
それは n-1 のとき正しかったとして,
推論すれば,正しいことがいえる。」
(多くの場合がそうであるように n=1 のときは明らかなので書いてない)
再帰的(recursive) な記述なのである。
つまり,とらえ方は逆で,思考法は次のように言い表せる。
好きな自然数を言ってみよ。
例えば,10
n が 10 のときに正しいことは,
n が 9 のときに正しいと仮定すればいえる。
n が 9 のときに正しいことは,
n が 8 のときに正しいと仮定すればいえる。
n が 8 のときに正しいことは,
n が 7 のときに正しいと仮定すればいえる。
しばらく,同様に
n が 3 のときに正しいことは,
n が 2 のときに正しいと仮定すればいえる。
n が 2 のときに正しいことは,
n が 1 のときに正しいと仮定すればいえる。
n が 1 のときは明らかに正しい。
このように,「任意の」自然数に対して,
ひとつさかのぼることができるのなら, どこか正しいところまで戻って,正しいことがいえるのである。
帰納法の仮定という考えも理解できる。
古来の記述とつながる。
証明という概念は,和算にはなかったらしい。
任意の すべての とか
inductive, recursive とかいう考えは ヨーロッパ人の発想を身につけなければならないようである。