思うこと 141003

 今日ある集まりがあって,結城浩さんの話を聞くことができた。 この話は,彼の新しい本になるかもしれないので, ネタバレはほとんどしないでおこうと思うが, いくつか共感できることがあるので書いておこうと思った。
 彼のプロフィールや顔写真はほとんど公開されていないので, 生の話を聞くことはとても貴重な時間であった。 数学をやっている人独特の, 観察眼と論理展開で話がとても面白い。 引き込まれていく。 そして,さすが作家であるから, 言葉の使い方が巧みである。 数学文章作法を買ってみようか。 そう思わせられたので,営業も成功。
 まず,人は何で動くのか から話が始まって展開していった。 答えを書いたらネタバレだからここではやめよう。 話がきちっと構成されていた。 このあたりも,作家であると同時に 数学をやっているひとの感性であると思う。 私も,文章を書くのは好きだが, もちろん,計算して書いている。 話も,アドリブは弱いが, ちゃんと発言するときは用意周到である。
 結城さんの話を聞いて, 私が思ったことを記していく。 その場にいた人は,ああ あのことをいっているのだなと 思ってくれればありがたい。
 いろいろな経験がそうさせるのだと思うが, 40も後半になると同じ世代の人の話に共感できることが多い。
 今年は,わかりやすい授業がモットー。 そんなこというと,去年までの教え子に怒られそうだが, 同じ授業は2度しないことを心がけていて, 目標はどうやったら,彼らが数学ができるようになるかだから, 私自身もいろいろと試している。 それが,自由にできるようになった(勤務校,年齢)のも 大変うれしいことである。
 ここは教員の出番という essential な part さえ, 取捨選択してわかりやすく教えれば, 一見もっと難しいような問題は, 彼らが自分たちで解決してくれる。 この問題は難しいから, こうやって解くんだよ と 教員がエレガントな解き方で解いても, 身につけてくれない生徒が多いし, その問題は解けても, 同じ essence を使っているにもかかわらず, 見た目が違うと解けない。
 数学教育は問題解決の手段を身につけさせるという側面があるが, 具体的な解法では足りないんだよなと思うこの頃。
 いま私は, 別の文章で いつも対話すること(interaction)の大切さを感じている と書いている。 自分自身でも教えているうちに, 相手の反応を見て,教え方が変わったり, 自分の理解が深まったりするのを感じるときがある。
 09年に視察旅行をした際に, パネルディスカッションを聞いた。 私は,パネルディスカッションはあまり好きではないのだが, やらせなしのトークライブといったほうが正確な会だった。 対話の様子をはたで見ていると, ジャズのセッションを聞いているようで, 充実した時間を過ごすことができる。 講演というと一人なのだが, 今回の結城さんの話も, 誰かもう一人いてトークライブだったら最高だと思う。 授業なんかもそんな形式がいいのかもしれない。
 去年から今年にかけて,5次方程式の解法を研究していた生徒は, 3人組で互いに刺激しあいながら問題を解決していった。 私は,ほんの少しの助言と方向性を指導しただけで, 彼ら自身が書籍と仲間とで研究を進めていった。
 ポリアのいかにして問題を解くかは 有名な本だし,本校の校長(かつては数学教師)も よく例に出す本である。 私は,未だ読んだことがないので, 今月末 amazon が 英語の kindle 版を出すというので, さっそく予約した。 読んでみたいと思うし, 生徒にも,英語で読ませてみたいものだ。
 本は紙になっているよさがあるけど, 手軽な電子書籍も試してみたいと思う。 今日もそうだったが, 教科書,問題集,参考書などを 電子化して持っているといいことがある。 そして,今ならクラウド。 essence だけを覚えていれば, 正確に覚えていることに価値をもたなくなった, (正確なことを覚えていられなくなっただけ) 私には大きな武器である。 話している流れで,このことだよ, とライブで ものを共有する タブレットが活躍する場面も増えてきた。
 私は授業の予習をしない。 授業の準備をしないというと, 生徒や管理職に怒られるかもしれない。 教材研究をしないという意味ではない。 私ほど教材研究をしている人も少ないだろうと自負しているくらいである。 私自身もライブ感を楽しむというと, かっこいい理由だろうか。 本当はチョーク一本だけをもって授業をしたいのだが, (実際に大学院の時に ホモロジー代数を講義してくださった先生は 1年間そうであった。) 教科書なしで教えることは可能だし, 問題を自分で作ってその場で一緒に考えるのも 難しいことではないのだが, さすがに,教科書の問題でないと 数学の苦手な生徒は混乱してしまう。 そうすると,教科書の細かい問題の設定までは覚えていられないし, 仕方がない,いろいろなものをもっていく。 今年は,コンピュータとプロジェクタとスクリーンを毎日もっていって 授業をしている。 荷物は多いのだが,言い換えると, コンピュータとプロジェクタとスクリーンだけで, いいのである。 コンピュータには,教科書と問題集と参考書と いくつかの自作プリントを PDF 化して入れている。 これはいい。 生徒と同じものを見ていられるし, 私は教科書はこんなことをいいたいのだということを, 自分で勝手に解釈して,自分の数学観を生徒に伝えることができる。 演習でもあまり予習をしないし, したくない。 生徒の前で間違えないように, 予め問題を解いて臨む若い先生がいるが, ご苦労なことだと思ってしまう。 予習をするときは, はっきり言って,進度を稼ぎたいとき (業界用語で速く進みたいということ)である。 受験対策の演習で, 模範解答を配ったときもあったが, スクリーンに映し出して, いざ解説を始めると違う解法をし始めることもある。 これが,ライブのいいところである。 演習で予習をしないと,たまに文字どおり 立ち往生することもある。 チャイムがなって,教室から一歩出たときに 解法が思いつくこともある。 でも,それが, その複雑な問題に向かってどうやって切り込んでいくかを, 正直に生徒に伝えることだと思っている。 だから,予習はしない。
 私があれこれ思案しながら, 黒板の問題と格闘しているときに, 頼りない先生だなあと思ったのか, 答えが出たら教えてねえとばかり, 他の問題を解いていたり,自分のことをやっている生徒と, ここはひとつ私が解いてやろう と 眼を輝かせて一緒に考えてくれる生徒と, どちらが数学ができるようになったかは, 答えるまでもない。(実話)
 対数関数って, ものを対数スケールでみてみよう  という話なんだよなと,この頃感じているのも 付け加えておこう。 その感覚が伝わらないと, \(\log_2(x+y)\) と \(\log_2 x + \log_2 y\) が等しいと思ってしまうんだよな。
 結城さんの話は,一つ一つに共感できることがあって, 私の経験に照らし合わせて,具体的な例がたくさんあったのだが, 今は,このくらいにしておこう。