141214 書き始め
高校でどうやって数学を学ぶのかについて,私の答えを述べてみる。
 この一連の, 何をなぜどうやって は 別個ものではない。 私もたまに読み返して,加筆修正している。
 なぜ数学を学ぶのか というのをざっくりいうと, やはり,問題解決法を学ぶ のかなということになる。 一連の,ここここ では,もう少し細かいことを 述べているし,数学を研究するとなると,また少し違う。 教育としての,数学を学ぶ意義,意味である。 昔の私は,生徒が受験で少しでも高い点を取ってくれればよいと, 狭義の受験数学の問題解決法 という見方が強かったころもあった。 この頃は,また問題解決法を学ぶ という見方になってきた。 それは,広い意味の話である。
 どうやったら数学の問題が解けるようになるのだろうか。
 一口に数学の問題といってもいくつかの種類があると感じている。 一番数学の問題らしいのは,数学の世界で閉じている問題。 数学者が取り組んでいるような問題, 大学の数学科などで専門に学んだり,研究したりしているような問題, 大学入試で出題される問題, 大学入試の問題を解くために参考書やともすると教科書にも載っている例題, そのようなものがある。
 このごろは現象,自然現象だけでなく社会現象の問題解決に 数学の力を使おうとする動きが大きい。 物理学を中心に自然現象の解明には 従来から数学が寄与している。 その過程で,数学自体も進化している。 特に20世紀,21世紀は社会現象の解明にも 数学が使われている。 数学を学ぶ意義はむしろこちらの方面で高まっている。 昔はあまり好きではなかった数理科学という言葉を, このごろは好んで使っているが, 現象の数理をとらえて, 数学の言葉に乗せて関係を記述して, 数学が最も得意とする形式的処理(計算)で 問題解決につなげるのである。
 この2つのステージに至るには, 数学の言葉を学ばなければならない。 数学の言葉は定義や定理がある。 定義を覚え,例を読み,定理(性質)を読み, それを証明し,応用例を読む。 という学習方法があるが, どうも逆なのではないかと思う。 現象があって,それを説明するために上手に言葉を定義して, それから演繹的に導かれる性質・現象を定理として整理する。 さきに,現象・定理があるのである。 定義だけ読んでいては,それが示す概念は身につかない。 定義の例を作り,それを練習し, 性質を説明して,それを練習し, というように,例や計算を練習することによって, その言葉の示す概念が身につくようだ。 これも,数学の問題である。
 どうやって数学を学ぶかの第一歩は, 手を動かせとよく言われること,つまり, 例を作り,計算をして,言葉の示す概念を 自分の頭の中に作り上げることである。 こんなに簡単なことなのだが というくらいでも 練習をきちんとすることが, 新しい概念を身につけることの最良の方法だと思っている。 確かに,私たちも大学・大学院で新しい概念が出てきたときには, 修得するためにそのようなことに時間と労力を割いた。 高校生にとっては,特に2年生の数学はそのような方法がいいのではないかと思っている。
 生きていると,大なり小なり問題にぶち当たる。 それを解決して乗り越えていかなくてはならない。 現実はかなり複雑なのだが, それでも,設定 と 要求 によって,問題は構成されている。 これは,現実でもそうだし,数学の問題でもそうである。 まず問題はそうなっていることを知るだけでも大きな意味がある。 数学は面倒くさいことは抜きにして,あえて無味乾燥にして, 設定から始めて,純粋に論理と計算で要求にこたえていく。
 数学の問題を解いていくことで,
ことが,問題解決の基本であることを学ぶ。 私は,このサイトではあまり書かないことにしているが, いわゆる例題から解法を学ぶところも,きっかけとしては必要であろう。
 数学の問題は,設定 と 要求 で構成されているか, 証明問題のように,仮定 と 結論 で構成されているかである。 問題解決のために必要な力を思いつくまま列挙してみると,
 いずれも,自分であるいは協働,指導してもらいながら 問題を解いていくことによってのみ,体得できるものである。 そして,自らの手で獲得,少なくとも自分で納得しないと身につかない。 このような問題解決の方法を学ぶために,数学はとてもよい subject なのである。
設定,要求の条件,構造を読み解く力
 問題を分析する力といってもよい。これには知識が必要である。 数学の問題を想定しているので, (一般の問題解決の「手法を数学で学ぶ」のだから) 設定や要求の条件は,数学の用語で書かれているはずである。 その条件を読み取るには,数学の知識が必要である。 問題文が言おうとしていることを理解しなくてはいけない。 それには,式で表したり,図や表にしたり, あるいは例を作りながら, 前にやったことがある,似たようなことがあった, 特別なことをやったけどその一般化かな, 反対に,あの話の特別なケースかな のように,設定と要求の隔たり,構造を 理解することも含まれる。
 ここができてしまえば,数学の問題のほとんどは解決する。
知識を身につける
 よく例を作れ と言われる。 定義,定理,性質,公式,このあたりが,数学の知識であるが, 使用例を作って理解しようと言われる。 本当は反対なんじゃないかとこの頃思う。 問題があって,それを誰かが解決して, そのためにはこう置いたり名付けたりすると 見通しがよくなるという定義があって, すると,こんな性質があって, その性質でこの問題は説明できる というように。
 最大公約数が 1 である2つの整数を互いに素という。 互いに素である a, b に対して ax + by = 1 となる x, y がある という性質がある ではなくて, このような性質のあるものを互いに素な整数というのだと名付けたのだろう。 正弦や余弦などもそう定義した理由があるはずである。
 解法だけではなく,定義,性質なども問題解決型の学習方法から 学習者自身で発見した,発見したように見せかけるようにアプローチできたら, 身につけさせるには,一番よい道だと思う。 少なくとも,学習者には納得してほしいところである。
 \(\sqrt{2}+\sqrt{3}\) と \(\sqrt{5}\) は等しくないし, \(\log_23+\log_25\) と \(\log_28\) は等しくない。 もっと言えば,\(\dfrac{1}{2}+\dfrac{1}{3}\) と \(\dfrac{2}{5}\) は等しくない。 学習者からすれば,あれっ,おやっと思うところ(不自然なところ)を回避する手段が, 性質であったり定義であったりという知識だったりする。
知識・経験と結びつける力
 よくみる問題の解法(解決法)自体が知識になる。 前にやった,似たことがあったという経験は, できるだけ知識にしていったほうが, 他の問題解決が容易になるのは当然である。 経験はものにしておくべきである。 よい例題を解くことはよい経験である。 加えていえば, 忘れたらどうするかということも考えておいたほうがいい。 人は忘れるものである。 また,解法をたくさん覚えることは目的ではない。 究極の問題は未知である。 誰も解決したことのない問題を解ける人材とその育成が要求されている。
解決の方向性を見通す力
 ひらめく と言われる部分であるが, 完全に 0 から出てくることはない。 この頁では繰り返し出てくるが, 問題解決の経験がものをいう。 設定,要求,問題の構造が読解できて, どのように知識を使えばよいかがわかれば, 方向性は見えたことになる。 ただ,ひらめく ことは実際にはある。 それは,どれだけ問題文を理解したかによる。 繰り返すと,設定,要求,問題の構造が 読み解けたかということである。 そこをじっと考えている (何がいいたいのか何がリクエストされているのか, どうなっているのか例を作ったり図を描いたり, また,似たことがなかったかなど) と, 方向性がひらめく。
 このように,学習方法は経験的であって,帰納的である。 つまり,よい問題を数多くこなしたほうが,経験値が上がる。 卑近なところでは,数学のテストで点数が取れるようになり, 入試の合格が近づくのである。 しかしながら,それだけならば, 数学を学ぶには,あまりに小さい目的である。
 経験の積み重ねが問題解決の一番の近道であるので, 大変時間がかかる。王道はない。 だが,問題解決にはこのような力が必要なのだと 思って数学を学ぶと,少しは身につくのが早いのでは感じている。 あの知識を使った,あの解法を使ったというデータベース型だけではなく, 上記のような つけさせたい力の分析で, このような力があったから問題が解けたんだよね, こんな見方をつけさせたい, のような メタな指導がいいと思っている。 世の中にはたくさんの問題があって, 数学だけでもすべてを解決することはほぼ不可能である。 解ける問題を増やしていこう と学習者たちに話をしている。 全部解いてやろう というのは心意気としては買う。 全部解かなくてはいけない ではプレッシャーに負けてしまうだろう。 全部解けるはずだ は過信であることが多い。 解けない問題はない は世間を知らなさすぎる。 学ぶ目標をきちっと定めて,意義を理解して, 謙虚に,経験を積み重ねるのである。